「労働は続く」

公開日: 2025.09.26
#エッセイ

みなさまいかがお過ごしだろうか。前回から長らく空いてしまった。「元気にしてる?」 という手紙とともに田舎から届く送り物くらいのスパンでしか書けていない。『ビルド・アンド・スクラップ』で書いた通り、すっかり放置状態であった。忙しいと本当に何も考えられず、書く余裕さえ持てない。毎週3連休、週休3日にならないかと、休みの日に常に願っていた。労働はクソです。

といってもその間、まったく何も書いていなかったわけではない。前から書いている文庫サイズの方眼ノートに書き散らしていたり、なんと5月から連用日記を、それも2種類書き始めていたのである。

1つは「マンスリーダイアリー」というものである。1年間の中で、毎月の同じ日に自分が何を書いたのかが見返しやすいフォーマットになっている。とりあえずやってみるか、やってから考えよう、もって3ヶ月だろう、と思いつつ書き始めた。これの良いところは、長い文量を書かなくてもよいというところだ。1日分のスペースが小さく、100文字も書けないので、その日の出来事を一言残す(それ以外の思ったことなどは文庫サイズのノートに書いている)。これなら続けられるだろうと始めてみた。

ところが、「このフォーマットだと来年とか再来年とか振り返りにくくない?」とズボラ精神を発揮し、マンスリーダイアリーに遅れることわずか8日後、3年連用の日記も書き始めた。マンスリーダイアリーですら「もって3ヶ月だろう」だったのに、未来3年分を見越して書き続ける気でいるこの厚かましさ。むしろ3日後に書くのをやめている可能性の方が高いのだが。そんな不安を清々しく無視。こちらはさらに書くスペースが小さい。ズボラなのでマンスリーダイアリーに書いたことを書き直している…。い、意味あるのか…?

さて、肝心の振り返りができているのか。これがまあ、見ない。このフォーマットなら強制的に目に入るだろうと期待していたものの、まあ読まない。たまに目に入る程度で、「ああ、こんなことしてたな」という程度である。数ヶ月前の自分から「こっちはこんなことしてたよ、そっちは元気にしている?」と連絡が届くようなものだ。そして大抵、手紙には「労働はクソです」と書いてある。それは見返さなくてもわかる。